・・・ソ研の連中は実に良くやる。皆熱心に仕事をし勉強もするのだが、何となく人間味に欠ける所があるような気がする。然し歴史はやはり必然的な運動を続けてコムミニズムの方向へ進んで行くのだろうし、日本の未来をになうのもやはりこのようなソ研、中研、あるいはペーの人々である事は疑わない。
そんな人達の中に有って日曜ごとに野球を見に行き、ぶらゝ町を歩き、ダンスでも習ってみたいとなどと考えている僕は少し変だ。
しかし僕の立場丈はやはり働く人達の開放、戦争の反対、この二つの上にしっかりと足をふみしめていよう。ムジュンした論理のようだが具体的に言うと、例え僕が、ダンスをしようと酒を呑もうと、自分の作品において常にそういった立場を守る、と言うことだ。
五木寛之の1952年(19歳)の日記。この時、氏は大学生。
ソ研というのはおそらくソビエト研究会。
中研は中華人民共和国研究会。
ぺーは不明。
>>然し歴史はやはり必然的な運動を続けてコムミニズムの方向へ進んで行くのだろうし、
ちょっと愕然。
わたしは1960年代の生まれだけれど、そういえば私がごくごく小さい頃、世の中の若者の多くは共産主義的だったのよね。
そして世の中というのは、共産主義的な方向へ「進化」し、それはもはや「必然」と思われていたのだと思う。
それが結局ぽしゃったのは、何でなのかな。彼らがやり方を間違えたというより、「彼らは何となく人間味に欠ける所があるような気がする」という点じゃないかな。
結局、人は、真面目で優秀で一生懸命で決して間違えないような人達を好きでないのかも。
この時代、五木寛之氏の気持ちはコミュニズムの近くにあったはず。他の多くの若者と同様。
でもやっぱりダンスや野球も好きで。
そういう方向へ分化していく兆しがちゃんと日記に顕れていて。それがおもしろい。