覚書 メモ

自分のための備忘録です。

HRT先生だ!

駅前を自転車で職場方向に向われていた。

まさに数分前、先生のことを考えていた。
そうしたら目の前に先生が現れてびっくり!

「お世話になりました!」
精一杯大きな声でお礼。
先生は止まらなかったけど、何か仰っていた。
お盆効果だろうか。
トリさん、ありがとう。
さすがだね。

母の死 分析

コロナと同じで。

コロナに対しては殆どの人がネガティブな思いを抱くと思う。

けれど何故そうなのかと言うと、その理由は一人一人違うと思う。

 

母の死はそれと同じ。

私にとってネガティブの極み、大打撃、なのだけれど。

では何故そうなのか?というと、それがよく分からなかった。

でも亡くなってから5ヶ月。

少しずつ分かってきた感じ。

 

1 まずは、あまりに突然だったこと。

色々持病を抱えていた母ではあったけれど気力は十分あり、あと数年は生きられそうな感じだった。それがいきなり非常に悪くなった。想定外。

 

2 次に私の力ではどうしようも出来ないことがある、ということが耐えられないのだと思う。

私は努力家。そして駄々っ子でもある。努力をし声を張り上げ泣き叫べば、大抵のことは何とかなる。でもあれ程頑張ったのに、母は死んじゃったのだ。それが許せない。こんなに努力したのに、なのに思い通りにいかないことが世の中にはある、という事実に耐えられない。

 

3 寂しい。これは世の多くの人と同じ。生まれた時からずっとそこにいた人がいなくなる。これはとても寂しいし不安。怖い。不思議。私と半分、遺伝子を共有する存在。

弟はそうではない。理論上からいえば、もしかしたら遺伝子はまったくかぶっていない可能性だってある(性染色体の性質上)。

 

4 パワーバランスの問題。

母のような高齢者でも、やはりその存在には重みがあった。母がいなくなることで、周りの私に対する態度が微妙に違ってきたような気がする。遠慮が無くなったというか。ぶしつけな質問もされるようになった、というか。母に対する遠慮からか、発言が控えめだった人も、遠慮なく色々聞いてくるようになった感じ。

そして、それはもちろん弟たちとの力関係にも影響する。

 

5 世の中を何に喩えん あさぼらけ

漕ぎ行く舟の跡の白波

 

生き物とは生まれては死に生まれては死ぬ。

本当に舟の跡にたつ白波のよう。あらわれては消える。

 

こういうのが耐えられない。

 

 

 

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昨年のゴールデンウイークに佐原で購入したポーチ。
母はとても疲れていてお水を一杯頂いた。
母に帽子、私に帽子とこのポーチを購入した。

母は買った帽子を結局一度もかぶらなかった。タグがついたまま残された。そういう人ではあったけど。やはり辛いかな。帽子は亡くなった直後に処分。

処分したもの 刺繍 アリス 覚書

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三十年以上前、刺繍したテーブルクロス。
不思議な国のアリスの挿し絵を参考にして、自分で適当に刺した。
テーブルクロスも自分で布で作ったと思う。ミシンで端をかがっただけだけれど。

私はこんなふうに即興で作るのが好き。下手だけれど。

処分することにする。

古いものは澱む。執着が生まれる。
さようなら。ありがとう。
洗濯して切って掃除に使います。

祖父18歳 祖母13歳

昨日。父の施設に電話。父を呼び出してもらい話す。

40分にも及んだ。もしかしたら施設に迷惑?とも思ったけれど、気にしないことにする。

母の死以来、父はとても不安定。エネルギーを入れる必要があるかな、と思うので。

 

昨日分かったこと。

 

昔々大昔。

祖父のいとこが祖母の実家に下宿をしていて。

そのいとこを祖父が訪ねて。

その部屋へ祖母がお茶を出しにいったとのこと。

祖父は18歳。

祖母は13歳。

それが初めての出会いだそう。

 

私はたしか、祖父が祖母の家へ下宿をしていた、と聞いていたので。その情報は違っていた。お茶を出しにいった、というのも、よりイメージが鮮明になって楽しい。

大正の半ばぐらいの話。

漱石の小説のような世界。

そう。昔は東京の家は素人下宿というのをやっていたのだよね。おそらくはご飯も出しただろうし、こんな風に家主の娘がお茶出しをしたりした。お茶出しというのは、女の仕事だった。

 

三十数年前まで東京の家には下宿人がいた。

食事は出さなかったけれど。

お風呂や台所は共通だった。

祖母にとって、家に下宿人を置くのは小さい頃からの当たり前のことだったのだ。

 

そのあと祖父は国家試験に受かり。

鳥取に働きに出。

その頃、歯科医院というのは資格保持者がひとりいれば、あとは無資格者だけでも大丈夫だった。おそろしい(笑)。

で、確か向こうで結婚し。子供が2人(悦ちゃんとかずちゃん)生まれ。

そのあと東京に戻ったのだけれど、奥さんは結核で死んでしまい。

 

そして祖母が後妻に入る。

後妻に入った理由のひとつに、悦ちゃんが祖母によくなついていた、ということがあった、と昨日、父は話していた。

 

祖母は12歳ぐらい違う、自分の異母妹達もよく可愛がっていた、とのこと。

 

うーん。

 

昔の人間関係はすごいな。

 

祖母には、継子がいて。実子がいて。

本当の妹がいて。

異母妹と異母弟がいて。

異父妹がいて。

実母がいて。

継母がいて。

 

すごい。

 

昔の人は、ネットで繋がってはいなかったけれど、こういう人間関係の中にいた。

そして公共福祉なんかあまりなかったし、ケアマネさんなんかもいなかったので、親戚同士頼っていた。

貧しい人は出世した親族を頼っていた。

 

それが百年ですっかり変わった。

 

ところで。この日(昨日。28日)は、母の命日。父と電話で40分も喋った為だろうか。その夜、正確には明け方。夢に出てきた。うつらうつらの時期。

母の服は全部処分してしまったので、あせる私。どうしよう。何を着せよう。あせる。

そういう夢。

そのあと、雨の中、何かを写しにカメラを手に母と外へ出る夢。母は写真を撮るのが好きだった。でもカメラが濡れて。怒る私。という夢。母はインスタとかやるタイプ。

何でも写真に撮りたがり。私はそういうタイプじゃないから。合わなかった。

そう合わなかった。

 

でもしょうがない。

考えてみれば母が異質だった。

大家族の一族とは違う出自だった。

しょうがない。

 

 

「どう? もう落ち着いた?」

先日出勤時にEさんに言われた言葉。

開口一番。

「落ち着く」なんて、あろうはずはない。

だってまだ二か月半ぐらいなのだから。

 

この人は悪い人ではない。

でも何というかがさつ。

声が大きくて。太っていて。

思ったことをすぐに口に出して。

ひとりでずっと喋り続けるような人。

本もよく読んでいるようなのだけれど、本当に分かっているのかな? 本質を全く理解していないような発言もある。て 私偉そう。

 

自身は母親を若い頃に亡くされたそうで。それほど悲しくなかったそうだ。お父様は、彼女が海外旅行から帰ってきたら浴室で亡くなっていたそう。その浴室をリフォームもしないでそのまま使用している、とのこと。

 

先月。まだハートブレイク真っ只中の時。ランチに誘ってくれて。ランチでなくお茶が良いといったら、「えー! わたし、誰かと都心に出る時はランチにするの! だってわざわざ都心に行くのだから!」と大きな声で即座に言われた。そして反故になったのだけれど。何日かしたら、サークルの人達とランチをするので、そのあと、ジャスミンさんとお茶うんぬんと言ってきた。

 

そしてお茶。喋る喋る。ひとりで喋っていた。私の母の死とはまったく関係のない話し。彼女にも弟がいて。相続のことなどを話しましょう、ということだったのだけれど。その話題も無し。

 

彼女はこの日。ランチはサークルの人達と。お茶は私と。夕食は近所の人達とお蕎麦屋さんなのだって(結局、お蕎麦やさんは定休日ということが判明しキャンセル)。

 

やれやれ。数年前、初期のがんで。今も服薬中だそうだけど。こんな生活なら私が彼女の「カラダ」なら、勘弁して、と言いたいかな。

 

何だかなにもかも嫌だ。

コロナじゃないけれど。世界はつながりすぎている。良くも悪くも。

私はもう少しひとりでいたい。離れていたい。

人と繋がらなくてももっと自然や環境や私自身(腸内細菌、内臓、手足などなど)と繋がりたい。まずはそちらのほうが最初。