覚書 メモ

自分のための備忘録です。

母の死 分析

コロナと同じで。

コロナに対しては殆どの人がネガティブな思いを抱くと思う。

けれど何故そうなのかと言うと、その理由は一人一人違うと思う。

 

母の死はそれと同じ。

私にとってネガティブの極み、大打撃、なのだけれど。

では何故そうなのか?というと、それがよく分からなかった。

でも亡くなってから5ヶ月。

少しずつ分かってきた感じ。

 

1 まずは、あまりに突然だったこと。

色々持病を抱えていた母ではあったけれど気力は十分あり、あと数年は生きられそうな感じだった。それがいきなり非常に悪くなった。想定外。

 

2 次に私の力ではどうしようも出来ないことがある、ということが耐えられないのだと思う。

私は努力家。そして駄々っ子でもある。努力をし声を張り上げ泣き叫べば、大抵のことは何とかなる。でもあれ程頑張ったのに、母は死んじゃったのだ。それが許せない。こんなに努力したのに、なのに思い通りにいかないことが世の中にはある、という事実に耐えられない。

 

3 寂しい。これは世の多くの人と同じ。生まれた時からずっとそこにいた人がいなくなる。これはとても寂しいし不安。怖い。不思議。私と半分、遺伝子を共有する存在。

弟はそうではない。理論上からいえば、もしかしたら遺伝子はまったくかぶっていない可能性だってある(性染色体の性質上)。

 

4 パワーバランスの問題。

母のような高齢者でも、やはりその存在には重みがあった。母がいなくなることで、周りの私に対する態度が微妙に違ってきたような気がする。遠慮が無くなったというか。ぶしつけな質問もされるようになった、というか。母に対する遠慮からか、発言が控えめだった人も、遠慮なく色々聞いてくるようになった感じ。

そして、それはもちろん弟たちとの力関係にも影響する。

 

5 世の中を何に喩えん あさぼらけ

漕ぎ行く舟の跡の白波

 

生き物とは生まれては死に生まれては死ぬ。

本当に舟の跡にたつ白波のよう。あらわれては消える。

 

こういうのが耐えられない。