昨日。父の施設に電話。父を呼び出してもらい話す。
40分にも及んだ。もしかしたら施設に迷惑?とも思ったけれど、気にしないことにする。
母の死以来、父はとても不安定。エネルギーを入れる必要があるかな、と思うので。
昨日分かったこと。
昔々大昔。
祖父のいとこが祖母の実家に下宿をしていて。
そのいとこを祖父が訪ねて。
その部屋へ祖母がお茶を出しにいったとのこと。
祖父は18歳。
祖母は13歳。
それが初めての出会いだそう。
私はたしか、祖父が祖母の家へ下宿をしていた、と聞いていたので。その情報は違っていた。お茶を出しにいった、というのも、よりイメージが鮮明になって楽しい。
大正の半ばぐらいの話。
漱石の小説のような世界。
そう。昔は東京の家は素人下宿というのをやっていたのだよね。おそらくはご飯も出しただろうし、こんな風に家主の娘がお茶出しをしたりした。お茶出しというのは、女の仕事だった。
三十数年前まで東京の家には下宿人がいた。
食事は出さなかったけれど。
お風呂や台所は共通だった。
祖母にとって、家に下宿人を置くのは小さい頃からの当たり前のことだったのだ。
そのあと祖父は国家試験に受かり。
鳥取に働きに出。
その頃、歯科医院というのは資格保持者がひとりいれば、あとは無資格者だけでも大丈夫だった。おそろしい(笑)。
で、確か向こうで結婚し。子供が2人(悦ちゃんとかずちゃん)生まれ。
そのあと東京に戻ったのだけれど、奥さんは結核で死んでしまい。
そして祖母が後妻に入る。
後妻に入った理由のひとつに、悦ちゃんが祖母によくなついていた、ということがあった、と昨日、父は話していた。
祖母は12歳ぐらい違う、自分の異母妹達もよく可愛がっていた、とのこと。
うーん。
昔の人間関係はすごいな。
祖母には、継子がいて。実子がいて。
本当の妹がいて。
異母妹と異母弟がいて。
異父妹がいて。
実母がいて。
継母がいて。
すごい。
昔の人は、ネットで繋がってはいなかったけれど、こういう人間関係の中にいた。
そして公共福祉なんかあまりなかったし、ケアマネさんなんかもいなかったので、親戚同士頼っていた。
貧しい人は出世した親族を頼っていた。
それが百年ですっかり変わった。
ところで。この日(昨日。28日)は、母の命日。父と電話で40分も喋った為だろうか。その夜、正確には明け方。夢に出てきた。うつらうつらの時期。
母の服は全部処分してしまったので、あせる私。どうしよう。何を着せよう。あせる。
そういう夢。
そのあと、雨の中、何かを写しにカメラを手に母と外へ出る夢。母は写真を撮るのが好きだった。でもカメラが濡れて。怒る私。という夢。母はインスタとかやるタイプ。
何でも写真に撮りたがり。私はそういうタイプじゃないから。合わなかった。
そう合わなかった。
でもしょうがない。
考えてみれば母が異質だった。
大家族の一族とは違う出自だった。
しょうがない。