覚書 メモ

自分のための備忘録です。

今は昔、右衛門尉なりけるものの、

 

今は昔、右衛門尉なりけるものの、えせなる親を持ちて、人見る、面伏ぶせなりとて、伊予の國より上りけるが、海に親を落とし入れてけるを、人心憂がりあさましがりけるに、七月十五日に、盆をたてまつるとて、いそぐを見たまひて、

道命阿闍梨

わたつうみに親おとしいれてこのぬしの

盆する見るぞあはれなりける 

 訳:

昔、とある右衛門尉(官職名 三等官)がいて、あまり見栄えもしない親がいて、都へ船で上る途中(疎ましく思い)、海の中に親を落とし入れた。

人びとは、酷いことをするものだとあきれ返った。

それでいてお盆の時は、盆供養をしようと準備をしたりしていた。

それを見た道命阿闍梨が歌を詠んだ。

海に親を落としておいて、盆供養をするなんて!

 

 

 

10月31日に母に入所してもらって、10日ぐらいたった頃、神保町の古書店で何気なく手にした「古本説話集」という本に収められていたお話。

ぱらぱらとめくって目に入ってきて、はっと打たれた。こういうのは一種のお告げ。

 

昔も今も同じだな、と思った。こんなに過激ではないけれど。年寄りは疎まれる。

 

お年よりは昔は大切にされた、なんてもしかしたら違うのかもしれない。大切にされなかったからこそ、儒教などで「考」だの何だの口を酸っぱくして説かなければならなかったのかも。「かも」の話だけれど。

 

この古本説話集というのは、一種のセレクトストーリー。宇治捨遣物語などとも共通しているお話が載っています。

夜、布団の中で、ぱらっとめくって適当な所を読んでいます。

百円也。

 

母は12月12日に家に戻ってきました。

やっぱり家が良いそうです。